​YUSHI DANGAMI STUDIO | 日本・東京
水に

宛のない手紙を瓶詰めにして人間性の海に投げ放つ時、同時に僕もそこに飛びこみ心中し たい気持ちに駆られる。「絵画は二度死ぬ、あるいは死なない。」が今日の私たちの宿痾 であるとすれば、それがそうさせるのかもしれない。然して、このようなことは市井の生 活とは関わりのない坩堝だから、この渦潮の目から抜け出すためにも世界に置く一つの表 現として成り立たせたいと思います。ただ言えることが、絵画の中の人間は少なくとも死 なない。ということならば、私たちの愛すべき人たちの永遠の生命への期待は、まったく 自身の絵画が時を生き残る為の装甲を持ちうるかということだけに懸かる。

微雨の頃に届く愛すべき便り

これまで、人間が人間を描くということを自覚し、その隔たりについての相互理解と その境界の均衡に絵画を置いてきました。 他者の画像を保存することがひどく容易なこの時代に肖像画を描くということは時代錯誤的に思 われるのですが、私の中に、身体とそれに伴う時間を賭けて、表現を生成しなければ済まされな い。という気持ちがあって、それが絵画に置換されるのだと思うのです。 それはまた、無限のおしゃべりの中に届く手紙に似た構造を持っていて、 きっとそれも肉筆を伴わなければ済まされない何かがそうさせているのだと思います。

特に生まれや死が。確実にそれを呼び起こす契機です。 私たちの生活の中で、生まれや死は郵便的に訪れます。それら便りなるものを預かる中、非簡便的 なものに社会は幾つかの慣用句を用意していて、それらを見過ごすことができます。しかし、その 時々に返事の手紙を書かなくてはきっと本質から遠ざかってしまうと思うのです。リアリズム(現 実主義)を語るためにも便りなるものを身体を賭けて受け取らなければならないと思います。 また、時間をかけて絵画を描く理由に。 その画像を担保としながらも、そこに束縛されない純粋な時間軸があるということが、 絵画の自由であり夢であると思います。それは再現的な絵画であればなおさら顕在化される事実 でしょう。また、肖像を描く時には、絵画の中の人間は常に生者も死者も等しく(「描かれた画 面の上と、観者の網膜の上とに二重に生じる偽の知覚」と 身体のイマージュを踏まえて。)残像であることが言えます。これはイマージュの沼に入り込み続 けることになりますが、これは肖像絵画の特異性であり永遠の可能性です。 その中に、私は肖像を描き重ねたいのです。それはまた、亡き人との対話、かつてと今の距離の 計測、いつか見る絵画の眼差しになると信じています。

果物(仮)

深緑に霞みたつ白の細やかさ 日本人の精神と語の細やかさ、

湿気や、この国の風土、に入ってくる異物、

緑、海、


油絵の具


この緑

白、野獣、 思考方法、 身体と時間、鏡、青 神がかり、樹液、、的、、樹液、、、的、、樹液、、的、、、 木材的、慰め、

煙の、火の、、、輪郭線、、、、

山火事、大津波、 この地は揺れる。

もののけ、 ねじりきるような、化け物的な握力は、

そして

そして、新しい列車が到着する ひかりの速さで朝になる 霞む灰色の街の中に絵が眠っている

ピクトリアリズムの否定から始まる近代写真についてだが、20世紀はほとほとそのジャンルの独自性、アイデンティティを探り続ける時代であった。まずピクトリアリズムについてだが、私は絵画の畑の人間なので、できる限り絵画の地点から見て行きたいと思う。写真が登場した時、写真は記録メディアであり技術であり芸術ではなかった。写真は絵画の僕であるとさえ言われ、画家のデッサン、スケッチの省略の機材として使われるものだった。フェルメールがカメラ・オブスクラを使っていたことは有名である。しかし同時に、絵画は写真を強烈に恐れた。事実、アングルは写真技術を芸術目的で使用する事を批判している。それらの要因もあり、写真が芸術として成立するのは、時間と理論を要することとなった。写真を絵画に近づける事で、芸術として成り立たせようとしたのが、ピクトリアリズム(絵画主義)である。重要な点は、絵画に近づける点ではなく、絵画が持つ芸術の形式を模倣する事で、写真の芸術性、社会的地位を高めようとする点である。1800年代末期からこの運動は一世を風靡するが、だんだんと、写真の持つ特質を注目したもので、独自に芸術性を主張し、社会的地位を高めんとする潮流が生まれてくる。それが「フォト・セセッション」(写真分離派)を結成であり、文字通り写真と絵画を分離させ、写真だけが可能な表現を模索するようになり始めた。アルフレッド・スティーグリッツなどがこの活動を支えた。1890年の頃である。アルフレッド・スティーグリッツは写真分離派であるが、ピクトリアリズムの写真家でもあった。

その写真分離派がすなわち近代写真と言われるものなのであるが、それは何かとなると、

写真だけが持ちうる特質を十全に発揮したもの。とされるわけである。

アルフレッド・スティーグリッツは絵画と分離されたもの、ストレイト・フォトグラフィ―をこのように定義している。

 

‘ストレイト・フォトグラフィ――写真技術の機能を美的に使うこと、カメラの能力と限界をともに認識すること、写真術を、ほかの種類の造画芸術の美学的原則の指導基準から、切り離すこと―’

 

ここで重要視されたのは、カメラの機械性、そこに人為的なもの(身体性)が加わらなくても画像が生成されるということである。

またもう一つカメラが作りだした地平が、新しい眼、つまりは肉眼で無い視線の獲得、レンズの眼の獲得である、それこそが、重要なのであった。

肉眼に近づけようとする写真もあったが、レンズが持っている描写性、それを十全に発揮しようとするものが近代写真の成立の条件であったのである。後にその迫真性を求める中で、肉眼に近づけようとする潮流として「out of focus」が現れるが、それは絵画も同様で、フォトリアリズムなど、レンズの眼を作品に採用するする画家も多く現れるようになった。ところで、ストレイト・フォトグラフィ(近代写真)を絵画は受けて、写真が絵画を模倣することがなくなり、助かったかというと、全く違い。絶望的な状態に追いやられた。印象派などはまだ新しい場所を見出した分まだよかったが、軒並み再現的描写性の強い絵画の居所はなくなった。絵画は死んだと言われるようになる。また、当時特権階級的であった。肖像画というのも、写真がポートレート作品として登場してしまったがために途端に行き場をなくしてしまったのである。絵画のアイデンティティを探す20世紀に写真が与えたインパクトは非常に大きい。非再現的で、メディウムスペシフィックな身体性を現前させた絵画を見ると、全く写真によって乗り越えられた地点に対して対極に作られていると容易に捉えられる。そんな中の1900年代日本の近代における、近代写真の現れ方と「写真」の翻訳による現在への影響を絵画の地点から考えてみたい。例えば、1925年にバウハウスから刊行された、モホイ=ナジの『絵画・写真・映画』では、写真を「光の造形」とし、絵画の延長上に写真というメディアが存在すると主張している。モホイ=ナジ自身、画家と自分自身を位置付けていたために、ここで語られる写真は、光画と訳した方が正しかったであろう。1932年また、野島康三、中山岩夫、木村伊兵衛らによって、写真雑誌『光画』が刊行された。当時油絵が輸入された際に、高橋由一は自らのことを写真派と名乗っていた。ところが、現在photographは光の画とは訳されず、写真と訳され、その結果、写真派の画家は、写実派と名乗らざるをえなくなった。誤訳が起こるとき必ず、本質ん誤読が起こりうる。

写実と名付けられたために、実を写すことが、近代絵画の再現的描写の礎になってしまった。このことによって2010年代まで、画像的な絵画の地位は酷く下がってしまったのだ

ゲルハルト・リヒターが写真を用いて絵画を生成してから、この誤訳により半世紀日本の絵画は遅れをとった。しかし、それによって日本独自の写実に対する絵画が生まれたのは言うまでもない。日本の写実は、写真(派)絵画でもrealismでもないのである。もちろん日本の近代写真においても、photographと写真の誤読は作られたに違いない。

 

いずれにせよ、現代は、レンズの眼も肉眼も同程度の経験として、私たちの世界の中に放り込まれている。がしかし、写真にはカメラという機械が介在していること、それがなく画像の生成にダイレクトに身体がかかる絵画、現在もこの差は明確である。近代写真の成立の条件が生み出したこの差は現在でも分岐点であり、写真に帰れや、絵画に帰れと言われる時に、何度も参照される地点にであるだろうと考えられる

about misreading

美術の本質は記録である。(視覚芸術 visual arts)

我々はどうしても留めておかなくてはならない心の有り様を、なんらかの形にして未来に投射してゆく。それゆえ、美術の対象は性質的に過去である。

絵画は手動において過去の記録をしてゆく。

例え現在の光景(リアルフィールド)を対象としていても、

描く中で《想起》が行われるために、(思い出す)

永遠に過去的な事物である。

フィジカルな問題においても、精神的な問題においても

常に絵画においてなされることは、身体を伴った記憶の再現と言える。

言い換えると、絵画は(思い出す)と(覚えておく)が同時になされる営みである。

また、それを行うに視覚芸術の中で適当である。(適切)

それと同時に、それ(営み)から逃れることがひどく困難なメディアとも言える。

実際に絵は描いたそば(すぐ後から)から、過去のものになってしまう。

それは、美しい記憶が二度と手に入らないことと似ている。

今日(こんにち)、心と体を遡ってみると、うすぼけた色彩とリズムだけが残っている。

それを捕まえるのに油絵の筆跡は、今の僕には丁度良い。

なぜだかそれをする。

おそらく生きてゆくために。

今日、コミュニケーションツールの発達は目覚ましく、匿名性は高くまた複製や編集が極端にし やすい状況の中で、表現の在り処はどこにあるだろうとさまよう。私たちの想いは、そのままに あなたへと伝わっているのだろうか。 この中で絵画という構造は、(作り手の)身体によって身体を(絵画)を形成され、それらの身体(絵画) は向かい合う身体のために用意されていると言える。絵画 の中にあるイメージは、居合わせるために用意された極めて親密な精神を媒介させる物質(身体) なのではないだろうか。 これは、コミニケーションおける当事者性を極限まで増幅させるものと して機能するだろう。振り返れば、そもそも対話とは二人称の関係の増幅であり、当事者でない ということはありえなかったはずだ。 両作家の共通する点は、真正面にこちらを向いている肖像 画に集約されているように、その二人称性を作品の正面に置いているという点である。

両者はあなたと絵画の関係を以下のように書いた。 桑園の作品を取れば、空間的なあなたと言え るし、また團上の作品を取れば、時間的にあなたを論じているとも言える。

”人は今見えてないない部分を、想起することで形作り、人は人の触れ得ない部分を想うことで愛 撫する。約束をすることで少し先を担保し、信じることで今を引き受ける。 私の見えていないと ころでも世界は変わらずにあり続け、遠くにいるあの人も変わらずに生きて いる。今ここから知 覚し得ない部分を在る、在り続けると信じ、私たちはいつも通りの安定した 毎日を送ることがで きる。 -あなた-の語源である其方、彼方。私自身の解釈では、其方はここで 間近に接している人 に対して使い、彼方とは離れた地平にいる人に対しての語。互いに二人称であ りながらも今ここ における在と不在を表すことになる。在により培った記憶(知覚の蓄積)を原 動に、不在を満た し、耐え忍び、祈り、信じる。二人称とは単に近い関係を指すわけでなく、人 間的パースペク ティブの近さを示すようだ。”(桑園 創 hajime kuwazono)

“絵画は身体を伴った過去の再現であると言える。絵画は手動である。例え現在の光景(リアル フィールド)を対象としていても描く中で《想起》が行われるために永遠に過去的な事物であるこ とから逃れることはできない。「見た。」の過去を延々に下って行くようだ。ここで私がモチー フにしている《あなた》では、《あなた》は一定の精神の高まりによってつながれた宣言的記憶の 栞だとしている。言うなれば、フィジカルな問題においても、精神的な問題においても 絵画は(思 い出す)と(覚えておく)が同時になされる営みである。この絵画を描くことによってあなた(「見 た」)への遭遇をを探る重複的な行為の関係を仮に《遡るパラレル》と呼ぶとする。つまり絵は 描いたそばから過去のものになってしまうがそれは、あなたに二度と会えないの切断と永遠に現 実へと接地しないという点において重複するが故にこの関係において絵画は逆説的に再びあなた に出会う余地を唯一与えてくれているのではないか。” (團上 祐志 yushi dangami)